月別アーカイブ: 2015年3月

撤収

 

 

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昨日、埋め戻しが完了し現場は終了したので、

本日は残っている機材などをすべて持ち帰りました。

また宿舎の荷物もすべてまとめ、

トラックに積み込んで大学へと運んでいきました。

 

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宿舎の中も、1ヵ月半を過ごした感謝の気持ちをこめて

お掃除をすみずみまでおこないました。

 

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いろいろな思い出が詰まったこの家ともお別れで、

名残惜しみつつ宿舎を離れました。

 

本日をもって今年度の調査日程は終了となりますので、

このブログの更新もこれで最後とさせていただきます。

これまでご覧いただき、ありがとうございました。

 

また今後も出土資料の整理等が続きますので、

ご支援・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

 

(H)

埋め戻し完了

今日の天気は、雲一つない快晴。 暖かいそよ風を感じる心地よい環境の中、埋め戻し作業を昨日に引き続き行ないました。

DSCF6375(西山1号窯より北方を臨む)

 

4次に渡る調査で積もりに積もった土嚢はかなりの量。これら土嚢袋の中の土を調査区に戻していく作業は、筋肉痛の心配をせずにはいられないほどの重労働となりました。 しかし、埋め戻しは遺構を後世に残すための作業、手を抜くことはできません。

途中、終わりが見えないように感じることもありましたが、いつもより多めに休憩を取りつつ、なんとか埋め戻しを完了!!

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最後にテントを解体し、本日の作業は終了です。

 

そして宿舎に帰ると、Ⅰさんの誕生日ケーキが私たちを待っていました。

一日遅れてしまいましたが、おめでとうございます。

 

明日は、現場や宿舎に残された機材等の撤収を行なう予定です。

最後まで怪我の無いよう、気を引き締めてがんばりましょう。

埋め戻し開始

今日は、昨日までとはうってかわって、陽光が顔を出して気温も上がり、暖かい春がやってきたことを実感させる一日でした。
寒さ厳しい時期から始まった西山1号窯の発掘調査も終了に向っています。

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ちょっと寂しいですが、再び現れた平安時代の窯に「さよなら」を言わなければならない日がついにきました。
当時の陶工は千年以後の私たちが自分の姿を追求するとは思いもしなかったことでしょう。
彼らの営んだ窯がふたたび地下で眠れるように、発掘調査の最後の作業を進めました。

午前中、トータルステーションを使って、図面記録の最終的な確認などをしました。

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また、窯の形を記録するために、等高線を入れる作業も行ないました。
等高線は地形を表現するために、同じ高さの点をたくさん取って、線としてつなげていきます。
このような等高線は遺構の起伏を記録する時に大変有効です。
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午後からは埋め戻し作業に入りました。
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真砂土や土嚢などで遺構が壊れないように保護しながら慎重に埋め戻し作業を行ないました。
調査中で一番肉体労働を要するのが、この埋め戻しのタイミングです!
発掘でせっかく取り上げた土をもとに戻さないといけません。
今日一日では埋め戻しが終わらなかったので、また明日も作業を続行。

明日に埋め戻しが終わることを願って、今晩は英気を養うことにします。

P.S. 今日は埋め戻し作業に入る前に、準備運動としてラジオ体操をしました! 久しぶりのラジオ体操にタイミングがかなりずれる場面も。ただ、意外と体で覚えているもののようです。

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(R)

調査も佳境に

いよいよ調査もクライマックスを迎えています。

現場での記録作業も仕上げの段階に入って参りました。

発掘調査といえば、ともすれば地面を掘り進め、出土遺物や建物などの痕跡を探りあてるといったことを想像する方が多いと思いますが、出土したあとの記録作業のほうが時間もかかり、神経を使います。
記録作業は写真も重要ですが、実測図の作成も大切です。

発掘調査では大きく2種類の図面が必要となります。
1つは、土層の堆積順序を記録する断面図、
もう1つは、遺構の範囲や出土遺物の位置関係、土層の平面的な広がりを記録する平面図です。
1mmのマス目の方眼紙に0.1mmの誤差も許されない図面の作成は、
緊張と同時に腕の見せ所。

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デジタル機器を用いた計測をすればいいのでは?とおっしゃる方もおられるかもしれませんが、
計測点にコンベックス(通称コンべ、正式名称コンベックスルール、英語ではSteel Tape、工作用巻尺のこと)をあて、
針のように尖らせた鉛筆で方眼紙の座標上に点を落とし、
実物を凝視しながら、点をつなぎ、図化する作業をしてはじめて分かることも少なくありません。
今回の調査では、窯壁の微妙な立ち上がり角度であるとか、灰原の堆積過程など、
観察に観察を重ねることで、遺構の理解が深まりました。

アナログにはアナログの味があり、その妙味を身につけることも考古学の修行では大切です。

これまで西山1号窯の調査では、断面図と平面図の両方を作成してきました。
そして当然のことながら、断面図と平面図は整合的でなければなりません。
たとえば、ある土層が断面図では幅1.50mなのに、平面図では幅1.45mとなっていたりすると、「どっちが正しいの!」と困惑してしまいます。

ですので、こういう疑問点が出てきたときには、現地で確認することが大切です。
本日は、この作業を行ないました。

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(宿舎で図面の整合性をチェックして、疑問点は翌日の調査でしっかり確認します)

また、窯のなかから出土した遺物も詳細に出土位置を記録しながら、取り上げました。

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みぞれが吹きすさぶ調査となりましたが、一致団結して調査を進め、もう終わりがみえてきました。

なお、25日には大阪大学の卒業式・修了式が執り行われ、この日は調査を休止しました。
西山1号窯の調査に携わってきた学生の中にも、新年度を新しい場所で迎える人が多くいます。

また、26日は24日の作業を継続して行なっております。

※ネット環境の不調のため、更新が遅れましたことをお詫び申し上げます

(I&N)

冬に逆戻り

本日の気温は、昨日までと一転、急に下がりました。冷風がフーフーと襲来。

調査団メンバーは寒さに負けず、仕事を一生懸命頑張りました。

今日の作業は、窯の全体像を3次元計測をしていただきました。

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通常の作業手順で、こちらもカメラで遺構写真を写りました。

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発掘状況がより詳細に記録できる写真を撮影するために、写真の合間も

掃除の手伝いをしたり、土層の境をはっきりさせたりしました。

時々噴霧器で乾きつつある遺物をちょっと濡らして、写真の中でよく明瞭に見えるようにしていました。

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その後、平面図と断面図の追記作業に入り込みました。
宿舎に戻って、終わるまでに残っている作業の内容を確認し、検討を行ないます。
発掘調査はどうしても不可逆な作業なので、常時、記録の詳細や確実性を検討して、最大限の情報が得られるように仕事しています。

疲れても充実の一日。
しかも、寒かったです。
さあ、明日も頑張ります。最後まで頑張りましょう!

(R)

掘削も大詰め

本日も、昨日に引き続き春を感じさせる陽気の1日でした。

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宿舎の梅の木も少しではありますが色づいてきました。

今日は2つの調査区ともに、掘削が大詰めを迎えました。

調査区1では、三角形の窯の中で、焚口と呼ばれる部分の構造を解明するため、部分的に掘り下げを行いました。

調査区2では、窯の内部の掘削により、大量の瓦や崩落した天井の下に隠れていた窯の床面がより明瞭となりました。

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それらは、判明したのちに、すぐさま記録作業に移ります。

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夕方に夕立に見舞われ、慌てて撤収しましたが、本日で、おおよその掘削作業は終了しました。

明日以降も記録作業などは続きますが、ほっと一息です。

そのお祝いとして、生活当番のI君が近くのお店にプリンを買いにいってくれました。

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これを明日への活力とし、もう少し頑張ろうと思います。

(T)

焼き物から瓦へ③

西山1号窯で検出された2つの窯跡は、篠窯における焼き物から瓦へ、製品の内容が変化する具体的な過程を知る貴重な手がかりとなりました。

IMG_3716(西山1-1号窯)

興味深いことは、小型三角窯である西山1-1号窯の廃絶のあり方でした。

操業していた窯がその役目を終えるときには、いくつかのパターンが考えられます。

焼成途中に窯が崩落し、そのまま放棄された場合。

あるいは窯の崩落後に焼き物を取り出して、廃棄される場合。

経年劣化などのため、長年使用されずに廃絶する場合。

様々な場合が想定できますが、窯詰め状態で発見される窯跡は数えるほどしかありません。

DSCF4757(西山1-1号窯中央に落ち込んだ天井)

西山1-1号窯では、窯の中に天井が落ち込んだ状態が確認できました。

この記録をしたのちに、天井を除去していくとき、

調査者の胸のうちは、

窯詰め状態の焼き物が見事に出土するのではないか、という期待8割、

あまりに多く出土して調査が長引きすぎると、どうしようといった不安2割

でしたが、驚くことに天井を取り除いたとき、あらわれたのは焼き物ではなく、それをのせていた焼き台でした。

このことは西山1-1号窯が廃棄されたとき、窯のなかには焼き物がほとんどはいっていなかったことを示します。

IMG_3801(西山1号窯窯内)

そして、倒れた焼き台を観察していくと、放射線状に倒れていることが分かります。

窯の天井が落ち込み、その衝撃で柱状の焼き台が倒れたのでしょう。

そして、焼き台のいくつかは割れているので、自然と天井が落下したというよりは、人が窯の上にのるなどして天井を崩落させたことを思わせるあり方です。

つまり、西山1-1号窯は、焼成途中の崩落や操業後の放置といった廃棄のパターンではなく、

意図的に廃絶されたと想定できるのです。

すこし想像をたくましくすれば、焼き物ではなく、より瓦生産へ生産の比重を高めようとした陶工たちが、従来的な窯を壊し、より新たな窯を求めたことが、西山1-1号窯の検出状況から読み取れるのではないでしょうか。

 

さて、本日の作業は、窯構造を把握するために補足的な掘削作業を行ない、その記録作業をおこなったこと、岡山理科大学の畠山先生に考古地磁気年代測定のためのサンプルを採取していただいたことです。

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地磁気年代測定では窯の床面より10cm程度のブロックサンプルが必要となります。

サンプルを採取する場所の周囲を掘りくぼめ、石膏を流し固め、ブロックを採取しました。

測定の結果が楽しみです。

 

昼休みには日光浴をしながら、食事をたのしめる季節となってきました。

ピーピーピーヴゥエィと特徴的な鳴き声をした鳥が春の訪れを告げているかのようでした。

(N)

焼き物から瓦へ②

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西山1-1号窯(手前)と1-2号窯(奥)

当初、1つの窯跡があると想定されてきた西山1号窯は、発掘調査の結果、2基の窯跡が検出されました。

1-1号窯と名づけた写真手前の窯は、小型三角窯とよばれる2つの焚口(焼き物をつめたり、燃料をくべるところ)をもつ三角形の窯です。
奥にみえるのは、1-2号窯とした焚口を1つもつ窯で、正確な平面形については現在精査中ですが、楕円形の形状にみえています。

小型三角窯は、これまでも篠窯でも発見されており、緑釉陶器をはじめとする焼き物を生産した窯です。そして、西山1-1号窯では興味深いことに、窯の中から須恵器などに混じって瓦の破片も出土しました。これは焼き物だけではなく、瓦も生産内容に加わった変化を示します。

1-2号窯では窯の中から瓦がぎっしりと詰まった状態で出土しました。なかには須恵器も混じっていますが、より瓦が多く焼かれた可能性が考えられます。

それでは、この2つの窯はどちらが先に操業されたのでしょうか?

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1-1号窯と1-2号窯の間の2つの灰原

このことを解き明かす手がかりの1つは、灰原(はいばら)にあります。
窯で焼き物や瓦を焼いている時に生じた灰、あるいは失敗した焼き物の破片などは、焚口の付近を中心に掻き出され、それが黒い土となって灰原を形成します。

西山1号窯でも広い範囲で灰原が検出されていますが、1-1号窯と1-2号窯のあいだには2つの灰原が認められ、それには上下の関係が認められます。
写真をご覧ください。
黄色い土をはさんで上下に黒色の灰原層がみえます。
左下の灰原層は1-1号窯に由来するもの、上にみえる灰原層は1-2号窯の操業時のものです。
黄色の土は1-2号窯を構築する際に整地した土であると考えています。

このように土層の堆積過程を捉えると、1-1号窯がまず操業し、その後、1-2号窯が築窯されたことが明らかです。

そこでもう一度、窯の特徴に目を向けてみましょう。
小型三角窯である1-1号窯は比較的床面が水平で、低温度焼成を必要とした緑釉陶器に適した窯の構造をしています。
一方、1-2号窯は床面が傾斜しており、焚口が1つであることが特徴的であり、より高温の焼成が期待できます。
寺院などの屋根に葺かれる瓦は、褐色といった焼成の甘いものではなく、やはり高温で青灰色に焼きあがるもの。
とすれば、2つの窯にみられる構造の違いは、主とする生産品目の違いであった可能性も高くなってきます。
焼き物から瓦生産へと、生産内容の比重を段階的に変えつつあったといえるのではないでしょうか。

従来、篠窯では焼き物生産から瓦生産への変化については、不鮮明なところが少なくありませんでした。
しかし、西山1号窯の調査の成果の1つとして、篠窯では焼き物から瓦生産へ急激に転換したのではなく、段階的に生産内容が変化しつつあったことが判明してきました。

この具体像については、出土した遺物の詳細な検討が必要ではありますが、2つの窯構造の違いが、単なる形の違いということだけではなさそうだということは言えると思います。

つづく

さて、今日の作業は出土した瓦の取り上げ作業、焚口付近や灰原の掘削でした。
宿舎では昨日生活当番がつくった思い思いのクッキー。
窯のかたち、前方後円墳のかたち、f字形鏡板のかたち。
甘いお菓子で体力回復です。

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考古学クッキー(非売品)

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雨の日は宿舎で

本日は、昨日から続く雨のため現場での作業は中止、宿舎で図面の整理を行ないました。

良好な状態で窯2基が検出されているため、多数の図面が作成されています。

毎日、現場での作業終了後、宿舎ではその日に作成された図面、また出土した遺物の登録などの作業が行われます。調査も大詰めとなり、遣り残した作業がないか、図面のチェックにも一層注意が払われます。

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出土した遺物も膨大な量になってきました。

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現場での作業が中止となった雨の日には、遺物洗いを地道に進めます。西山1号窯出土遺物は、粘性の高い土層から出土することが多いため、土をきれいに洗い落とすのも一苦労です。

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調査は終盤ですが、今後も地磁気測定のためのサンプリング等いくつかの計測作業を予定しております。来週はじめには調査の目処をつけたいところです。

本日は窯の詳細についてお伝えする予定でしたが、それらの内容は明日以降に延期させていただきます。

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焼き物から瓦へ①

今回、西山1号窯の調査では篠窯に関する新たな知見がいくつも得ることができました。

そこでブログを通じて、その調査成果の一端をご紹介したいと思います。

篠窯は、奈良時代から平安時代にかけて焼き物を中心に操業された窯です。

奈良時代では貯蔵の道具や食器として使われた須恵器(すえき)が作られ、平安時代になり平安京に都が移ると、篠窯は都に住む人々の生活を支える窯跡となりました。

さらに9世紀末には貴族や地方の有力者が好んだ緑釉陶器の生産を開始し、特徴的な形をした須恵器の鉢とあわせて篠窯産の焼き物が日本各地に運ばれました。

大谷3号窯で出土した9世紀末の焼き物

(大谷3号窯で出土した9世紀末の焼き物)

しかし、藤原道長が活躍した10世紀末から11世紀初めには、篠窯は焼き物生産を止め、瓦の生産へと転換したことがこれまでの考古学的な成果から判明しています。

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(焚口からみた1-2号窯)

それでは、なぜ、全国有数の焼き物の生産地であった篠窯が、瓦生産へと転換したのか?

焼き物から瓦生産への変化は、抜本的なものだったのか、それとも漸移的なものだったのか?

こうした素朴な疑問については、実のところ、この時期の窯跡の調査がすくなく、不明な点が少なくありませんでした。

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(手前:1-1号窯、奥:1-2号窯)

緑釉陶器、須恵器といった焼き物、そして瓦を生産していたことが明らかとなった今回の西山1号窯の調査では、この問題を解き明かす1つの手がかりを与えてくれました。

今回発見された2つの窯跡によって、焼き物から瓦へと移り変わる変化が段階的であり、窯跡の構造を変化させていった過程が把握できるようになってきました。

具体的なことについては、明日、ご紹介したいと思います。

今日は、写真撮影を行い、補足的な図面作成の作業を行ないました。

夕方の雨を避けるように宿舎に撤収し、生活当番が準備してくれたインド料理のサモサに舌鼓を打ちつつ、カメオカの夜は更けていきます。

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