当初、1つの窯跡があると想定されてきた西山1号窯は、発掘調査の結果、2基の窯跡が検出されました。
1-1号窯と名づけた写真手前の窯は、小型三角窯とよばれる2つの焚口(焼き物をつめたり、燃料をくべるところ)をもつ三角形の窯です。
奥にみえるのは、1-2号窯とした焚口を1つもつ窯で、正確な平面形については現在精査中ですが、楕円形の形状にみえています。
小型三角窯は、これまでも篠窯でも発見されており、緑釉陶器をはじめとする焼き物を生産した窯です。そして、西山1-1号窯では興味深いことに、窯の中から須恵器などに混じって瓦の破片も出土しました。これは焼き物だけではなく、瓦も生産内容に加わった変化を示します。
1-2号窯では窯の中から瓦がぎっしりと詰まった状態で出土しました。なかには須恵器も混じっていますが、より瓦が多く焼かれた可能性が考えられます。
それでは、この2つの窯はどちらが先に操業されたのでしょうか?
1-1号窯と1-2号窯の間の2つの灰原
このことを解き明かす手がかりの1つは、灰原(はいばら)にあります。
窯で焼き物や瓦を焼いている時に生じた灰、あるいは失敗した焼き物の破片などは、焚口の付近を中心に掻き出され、それが黒い土となって灰原を形成します。
西山1号窯でも広い範囲で灰原が検出されていますが、1-1号窯と1-2号窯のあいだには2つの灰原が認められ、それには上下の関係が認められます。
写真をご覧ください。
黄色い土をはさんで上下に黒色の灰原層がみえます。
左下の灰原層は1-1号窯に由来するもの、上にみえる灰原層は1-2号窯の操業時のものです。
黄色の土は1-2号窯を構築する際に整地した土であると考えています。
このように土層の堆積過程を捉えると、1-1号窯がまず操業し、その後、1-2号窯が築窯されたことが明らかです。
そこでもう一度、窯の特徴に目を向けてみましょう。
小型三角窯である1-1号窯は比較的床面が水平で、低温度焼成を必要とした緑釉陶器に適した窯の構造をしています。
一方、1-2号窯は床面が傾斜しており、焚口が1つであることが特徴的であり、より高温の焼成が期待できます。
寺院などの屋根に葺かれる瓦は、褐色といった焼成の甘いものではなく、やはり高温で青灰色に焼きあがるもの。
とすれば、2つの窯にみられる構造の違いは、主とする生産品目の違いであった可能性も高くなってきます。
焼き物から瓦生産へと、生産内容の比重を段階的に変えつつあったといえるのではないでしょうか。
従来、篠窯では焼き物生産から瓦生産への変化については、不鮮明なところが少なくありませんでした。
しかし、西山1号窯の調査の成果の1つとして、篠窯では焼き物から瓦生産へ急激に転換したのではなく、段階的に生産内容が変化しつつあったことが判明してきました。
この具体像については、出土した遺物の詳細な検討が必要ではありますが、2つの窯構造の違いが、単なる形の違いということだけではなさそうだということは言えると思います。
つづく
さて、今日の作業は出土した瓦の取り上げ作業、焚口付近や灰原の掘削でした。
宿舎では昨日生活当番がつくった思い思いのクッキー。
窯のかたち、前方後円墳のかたち、f字形鏡板のかたち。
甘いお菓子で体力回復です。
考古学クッキー(非売品)
(N)