2.日本の焼き物の歴史

日本の焼き物のなかで、もっとも古いものは、縄文(じょうもん)土器(図1)と呼ばれる黒褐色(黒ずんだ茶色)で、一般には厚くもろい土器です。一万年以上前に現れた縄文土器は、世界の焼き物のなかでも、もっとも古いものの一つといわれています。その後、朝鮮半島からの影響のもとに弥生土器(図2)が作られはじめ、さらに古墳時代の土師器へと続いていきます。これら縄文土器・弥生土器・土師器は、酸素が多い状態で焼かれた焼き物であり、赤茶色をして軟質であるのが特徴です。

縄文土器

図1 縄文土器

弥生土器

図2 弥生土器

 

 

 

 

 

 

須恵器

図3 須恵器

それらに対して、古墳時代の中ごろから、硬質で灰色をした焼き物が登場します。須恵器(図3)です。須恵器は、朝鮮半島から技術が伝わって作られはじめました。飛鳥時代でも後半の、白鳳(はくほう)文化と総称される時代には、新たにガラス質の釉薬(ゆうやく、うわぐすり)をほどこした焼き物が生産されはじめます。それが施釉陶器です。これも朝鮮半島から技術が伝わったものと考えられています。

 奈良時代には、カラフルな色の釉薬を使う中国の焼き物、唐三彩(とうさんさい 図4)の技術が日本に伝えられ、黄色や緑色に白(透明)の釉薬を使う奈良三彩と呼ばれる焼き物が作られました。ただし、奈良時代の三彩は量的に非常に少なく、特に仏具など特殊な用途で用いられたため、一般には土師器や須恵器が用いられました。

唐三彩鳳首瓶

図4 唐三彩鳳首瓶

灰釉陶器壺

図5 灰釉陶器壺

 

 

 

 

 

 

 

 

平安時代に入ると、やはり土師器が使われ続ける一方で、須恵器は壺(つぼ)や甕(かめ)・鉢(はち)などの容器類が中心となります。その一方で、多色の釉薬をほどこした奈良三彩が姿を消して、再び緑一色の緑釉陶器となりました。また新たに、高い温度で焼かれた、緑白色の釉をかけた灰釉陶器(かいゆうとうき 図5)も、この平安時代から作られることになります。緑釉陶器や灰釉陶器は、ともに都などで使われることが多かったのですが、次第に地方でも使われるようになり、特に灰釉陶器は東日本にかなり広く流通しました。

瀬戸の鉄釉(天目茶碗)

図6 瀬戸の鉄釉(天目茶碗)

 その後、鎌倉・室町時代には、瀬戸・常滑・越前・信楽・丹波・備前など、現代でも有名な焼き物の産地で、生産がおこなわれるようになります。ただし、瀬戸などで灰釉や鉄釉(黒褐色の釉 図6)をほどこす焼き物は作られるものの、一般には釉がかけられない焼き物が主流となります。以前に生産されていた鉛を原料とする緑釉陶器は、この時代には生産されなくなります。その一方で、土師器は皿類を中心に、須恵器も擂鉢(すりばち)などが使われ続けることになります。

肥前染付皿

図7 肥前染付皿

 さらに安土・桃山時代には、豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に連れてこられた人々などによって、非常に硬質で、水なども通さない磁器の生産が始まります。伊万里焼(いまりやき 図7)などと呼ばれるように、肥前(ひぜん、佐賀・長崎県)周辺でその生産は始まります。肥前の磁器は、白い磁器(白磁)や、白磁の釉薬の下に藍色のコバルト顔料で絵を描く染付(そめつけ)から始まりますが、カラフルな色を用いた色絵(いろえ)の磁器へと発展していきました。これらの磁器は、ヨーロッパを初めとする海外へも輸出されるようになります。ここに、ようやく日本の焼き物生産は、中国などと肩を並べるレベルに達することになるのです。

《参考文献》
江坂輝彌 1973 『古代史発掘2 縄文土器と貝塚』(図1)
上高津貝塚ふるさと歴史の広場 2004 『青と白への憧憬-施釉陶器がもたらされた場所-』(図5)
潮見浩 1988 『図解 技術の考古学』
群馬県立歴史博物館 1990 『第35回企画・特別展 藤ノ木古墳と東国の古墳文化』(図3)
国立歴史民俗博物館 1998 『陶磁器の文化史』(図4・図6・図7)
青木美智男他12名 2004 『日本史B』 三省堂
正進社 『新中学総合歴史 地図/年表/資料』(図2)

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