瓦とは?
7世紀ころの飛鳥(あすか)時代になると、朝鮮半島から伝わった仏教が広まりはじめ、仏像などをまつった寺院が建てられるようになります。その寺院の建物の屋根には、焼き物でできた瓦(かわら)が葺(ふ)かれました。それまで、植物などで葺かれていた屋根からすると大きな変化だといえます。日本で最初に瓦(図1)が用いられたのは、本格的な国内最初の仏教寺院、飛鳥寺(現在の奈良県明日香村)です。
この瓦を作る技術は、仏教などとともに、朝鮮半島などから技術がもたらされました。飛鳥寺で作られた瓦は、朝鮮半島南部の百済(くだら)とよばれる国のものとそっくりです。この瓦は、現在のいぶし焼されたネズミ色に光を放つものではなく、須恵器などと同じようなものです。トンネル状の形をした窯で焼かれました。後には、瓦を焼くのに適した、平窯(床面が平坦なもの)なども用いられるようになります。
この瓦の生産は、飛鳥寺の後に各地の寺院で使われますが、ようやく7世紀末の藤原宮になって初めて宮殿でも用いられます。その後には、寺以外に、各地の官衙(かんが、役所のこと)などにも瓦が葺かれることになります。ただ、日本古代の一般の住宅では、瓦が用いられることはありませんでした。
この瓦の中で特殊なものが、緑釉や三彩釉が施された瓦です。奈良時代には平城京などの大寺院や宮殿などで、ごくわずかに三彩や緑釉の瓦が用いられています。平安時代になると、平安宮などで緑釉瓦が用いられるようになります。京都の平安神宮は、平安宮の大極殿の建物を模して造られたものですが、その社殿のように全面に緑釉の瓦が葺かれたのではなく、屋根を縁取るような場所のみに、緑釉の瓦が用いられたものと推測されます。
緑釉の瓦は、平安時代初め以降はほとんど用いられなくなります。しかし、11世紀前半に藤原道長が建立した法成寺(ほうじょうじ)では、緑釉瓦が使われています。その緑釉瓦(図3)を焼いたのが篠窯です。篠窯は、全国でも非常に珍しい、緑釉瓦の産地として知られています。
<参考文献>
上原真人1997『歴史発掘11 瓦を読む』講談社
加納敬二2003「法成寺の緑釉軒瓦」『リーフレット京都』No.173(図3)
京都府埋蔵文化財調査研究センター1990『京都 古代との出会い』(図4)
奈良文化財研究所1986『飛鳥寺』(図1)